Top Interview
伊坂文月/Kバレエ ゲストアーティスト
「これまでの自分とは違う自分を見たい」
2024' May Vol.106
Dancers Web トップインタビュー
―バレエ教室を営む実家で3歳からバレエを始められたそうですが、最初から馴染めましたか?
馴染めませんでした(笑)。
祖父の代からバレエ教室を開いていたのですが、僕はいつも元気良く動き回っていた子どもだったらしく、教室に連れて行かれるようになりました。
当時、僕たちは学校でイジられることがよくあったんですよ。「お前タイツ履いてるんだろう?」とか。クラスメートから、自分が好きなものを否定されるのがすごく嫌だった。
―いつからバレエが好きなったのでしょう?
熊川哲也さんのビデオが出始めたときで12、13歳ぐらいだったかな。すごくカッコいいなと。バレエが楽しくなりました。その頃、日本バレエ協会の公演で出会った同年代の男の子がメチャクチャ動けていたんですよ。すごく刺激されました。その子は児玉北斗くんで今でも活躍してます。
―その夢中になるまで10年ぐらいありますが、バレエを辞めなかった理由は?
やっぱり好きだったからかな。潜在的にバレエはカッコいいんだと思っていたし、生きていく上での武器になると信じていたと思う。
―熊川哲也さんに憧れて留学を決意されたそうですが、どんなところに惹かれたのでしょう?
それはもう、日本バレエ男性のレベルを引き上げたパイオニアですから!
熊川さんのビデオは毎日観ていました。その頃、確か14歳のときだったんですが、熊川さんが出演するネスカフェのCMのテストダンサーに選ばれたんです。
当時25歳のときの熊川さんは、英国ロイヤルバレエと日本を行き来して活躍中だったんですが、とにかくオーラがものすごかった!熊川さんは、「男性バレエダンサーはカッコいいんだ!」と広めてくれた人。バレエ男子はちょっと変わったヤツという認識を大きく変えた立役者だと思います。
カリスマ性、チャーミングさ。バレエ男子みんなが目指したいダンサー。
成功したらフェラリー買えるよとか(笑)。夢を見させてくれたし、勇気を与えてくれた。
声を大にして「僕はバレエダンサーです!」と言えるようになった。
―ほかの職業の選択肢はあったのでしょうか?
ない!絶対バレエダンサーなる!
ネスカフェのCMが強烈な記憶に残っていて、熊川さんを超えてやろう!と思っていましたら(笑)。
―そして、奨学金を経て15歳で香港へ単身バレエ留学をされました。
当時の香港バレエ団監督のスティーブン・ジェフリーが、全部提供するから来てみないかと声をかけてくれて、香港アカデミーバレエに最年少で入りました。本来は17歳からだったみたいです。
―初の海外生活はいかがでしたか?
香港の町は、ソニー、キャノン、トヨタ、任天堂とか日本の企業の看板がたくさん溢れていて、日本すごいなと。でも生活はぜんぶ一人でやらなくちゃいけなかったですし、色々な意味でカルチャーショックでした。
ヨーロッパやアジア各国から留学生が集まってきていて、ふたり部屋のルームメイトも外国人でした。色々な人がいたので、日本人というだけで毛嫌いされたり、ロッカーを壊されたこともあったし、衣装に針が入っていることもありました。
一番の極めつけは、学校公演の本番で音楽が意図的に止められたこと。
登場してすぐ音楽が止まったんです。1年間いっしょに練習してきたのに踊れなくなって、相手役の女の子は泣いていました。音響の先生はその学生に激怒していましたが、舞台スタッフも学生だったから、そういうトラブルがありました。これまで経験したことがないことばかりでしたね。
―そんな辛いことがあって、日本に帰りたい思いはなかったですか?
絶対帰らない!と決めてました。ここを超えないと熊川さんを超えられないと思っていましたから。アカデミーに3年間いて、香港バレエ団に4年間在籍しました。
―香港バレエ団はいかがでしたか?
コール・ドから入って2年間、3年目にやっとソリストの役をいただきましたが、最初の2年間はストレスが結構ありました。やっぱりコール・ドを求めて入団したわけではなかったので。
でも、バレエだけで生活できる環境は素晴らしかったですね。周辺は富裕層が住んでいる地域だったんですが、週末はクラブで踊ったり、18歳で大人の世界を垣間見た感じ(笑)。21歳まで在籍しました。
―そして22歳で、バレエヨーガンカナダに移籍されますね。
13人の団員で学校公演を含めて1年間で120回以上のツアー公演をしているカンパニーでした。「くるみ割り人形」の王子役を50回踊りました。ツアーは車での移動で、トロントから片道9時間ぐらいかかる。ずっとそんな生活で、体力的にも精神的にも10ヶ月間しかもたなかった(笑)。
でもトロントはのんびりしていて、心の持ちようが豊かな国だなと思いました。
―Kバレエカンパニー(当時)に入団された理由は?
やっぱり夢と希望をくれた熊川さんの元で踊りたい。
入団オーディションの帰りに熊川さんの姿が見えて「僕どうでしたか?入れますか?」って直接聞いたら「おまえは明日から来い」と即答してくれました。ラッキーでした!
―Kバレエに11年間在籍されましたが、ターニングポイントとなった舞台はありますか?
10周年記念公演の「ロミオとジュリエット」ですね。当初はセカンドキャストとして、ロミオの親友のベンヴォーリオに配役されていたんですが、ロミオ役は熊川さんだったので、どうしてもその役を踊りたくて。リハーサルからものすごくアピールしました(笑)。
憧れの人の横で踊れたこと、僕のために振り付けてもらった役も大きな財産だった。
そして、バレエカンパニーとしての組織の仕組み、ダンサーへのアドバイスや指導方法も教えてもらいました。
熊川ディレクターは、ダンサーとしてのパッション、姿勢、音の取り方など、とても厳しかったですが、厳しさの中に愛があったからついて行けた。幸せな時間でしたね。
―これまでバレエを辞めようと思ったことは?
何回もあります。バレエ団に入るのも難しいのに、入団した後は毎日がオーディションみたいなものですから。香港バレエ団のコール・ドだったときが、メンタル的に一番きつかったかもしれない。
―踊るモチベーションはどんなところにありますか?
Kバレエは大きい素晴らしい舞台で踊れるし、与えられた役を全力で取り組むことが
モチベーションだった。
今は、やったことがないことに挑戦すること。2023年9月にミュージカル・アナスタシアという大きな公演に出演できたことも楽しかった。
―ダンサーとしての美学は?
ロックンロールだと思います。心がロックしていないとダメ!(笑)
バレエダンサーの仕事は究極だと思います。タイツで身体をさらけ出し、自分の生き様も
舞台上で全部出てしまう。どんな生活をしてきているか、どんなモチベーションでこれまでやってきたか、すべて分かってしまう。これってすごいことだと思います。
―9月14日(土)と15(日)にロックバレエ「GENJI」に出演されます。
リハーサルが数回ありましたが、いかがですか?
現代舞踊のドキュメンタリー番組で、平山素子さんがキレッキレッで踊っているのを見たんです。この人のクラスを受けに行こうと、19歳のとき夏の講習会で、素子さんのワークショップに参加しました。なので今回、素子さんの演出・振付で踊れるのは嬉しいです。
最近は教える方が多く、プロフェッショナルダンサーと踊る機会が減ったので、クリエーションは学生時代に戻った感じで楽しい。大きなリフトもありますし、異なるバレエ団のメンバーとの化学反応も楽しみです。
やっぱりバレエダンサーとしての養分がほしい。これまでの自分とは違う自分を見たい。
―今後、挑戦されたいことをシェアしてもらえますか?
自分のバレエ教室ではヒップホップ・ダンスクラスもあるんですが、ヒップホップ・エンターテイメントをもっと広げたいと思います。
そして数年前から、小学校で公演活動も行っているんですが、コロナ禍で子ども達は給食中に黙食しなくてはいけなかったり、マスクが当たり前になって、今でもマスクが外せない子もいるみたいです。バレエ芸術が子ども達の心に響いたらいいですね。芸術とエンタテインメントの力で活気を与えたいと思っています。
新作ロックバレエ『GENJI』
2024年9/14(土),15(日) 大田区民プラザ大ホール
https://balletartsjapan.com/
https://1oxoh.hp.peraichi.com
【伊坂文月プロフィール】
バレエ教室を営む実家で3歳からバレエを始める。熊川ディレクターに憧れ、15歳で奨学金香港へ単身バレエ留学。2000年にはローザンヌ国際コンクール」でセミファイナリスト。ローザンヌ国際コンクール」でセミファイナリスト。2002年には18歳香港バレエ団、カナダズ・バレエ・ヨーガン(以下CBJ)を経て2009年2月Kバレエファースト・アーティストとして入団。2009年11月にソリスト、2013年9月ファースト・ソリスト、2016年9月プリンシパル・ソリストに昇格。2022年よりKバレエ ゲストアーティストとして活躍中。自身のスタジオ、プティ・パフォーミングアーツ主宰。
https://www.petit-performing-arts.com/greeting/