Top Interview
寺田 翠/バレエダンサー

「バレエ芸術の一部でありたい」
2025' . Vol.118
Dancers Web トップインタビュー

―11歳、12歳くらいからプロのダンサーになることを意識していたということですが、まだ小学5,6生の頃ですね。そもそもバレエをはじめたきっかけは何ですか?
母親が母親がミュージカルが好きだったんです。その延長戦でバレエをやってみる?と聞かれて、近所のバレエ教室に通い始めました。
バレエのDVDを観るようになって、アレッサンドロ・フェリの『ジゼル』に衝撃を受けました。その当時まだ幼かったですが、なぜか「懺悔しなきゃ」と思ったのを覚えています(笑)。『ジゼル』は“許し”をテーマにした作品なので、子供ながらに複雑な感情を抱きました。
プロのダンサーになりたいというより、バレエの世界そのものに魅了されてしまった感覚ですね。この世界の中に入ってみたい憧れがありました。
― 気づいたらバレエ漬けの日々で、お正月も休みなくレッスンだったそうですが、そこまで夢中にさせたバレエの魅力はどんなところにあったと思われますか?
非日常感が心地良かった。舞台に出たときの高揚感、舞台の空間すべて。
日々のレッスンが苦しいとは思わなかったですね。田中俊行先生の教えも大きかったと思います。先生からバレエの本質と素晴らしさを教えていただきました。
― 10代のころにバレエ以外に興味をもったものはありますか?
あまりないんですが、学生のとき演劇部に入りました。バレエに役立てるかもと思ったのですが、お教室のレッスンの方が忙しくて結局、幽霊部員だった(笑)。
―フランス、ベルギー、アメリカ、中国に単身で短期バレエ留学されたそうですが、12~13歳の頃ですね。
コンクールで短期のスカラシップを受けて行きましたが、怖いという思いはなかったですね。日本人の仲間もいましたし、未知の世界を楽しむタイプです(笑)。母親は「移動中はパスポートを常に首からかけて、カバンの中にしまっておきなさい」と送り出してくれました(笑)。
―ロシアのバレエ団は公演数が多いですよね。
1年に300回ぐらいありました。ロシアでは毎日踊り続けていた日々だったので、常に毎日が舞台。
デニス・マトヴィエンコ芸術監督のときに、ロシア国立ノヴォシビルスク劇場に移籍しましたが、本当に素晴らしい劇場で、これまで以上にプロフェッショナルとして取り組むようになりました。
※劇場の内装はこちら
https://www.poltronafrau.com/ww/ja/products/academic-theatre-of-opera-and-ballet-novosibirsk.html
―これまで立った舞台の中で強く印象に残る演目はありますか?
はじめて踊る役はどの作品もいつも忘れられないですが、ロシアの民族のおとぎ話『シュラレー』ですね。私は小鳥の役だったのですが、音楽も素晴らしいですし、踊っていてとても気持ち良い作品です。日本で上演されることは少ないですが、マリインスキー劇場で観ることができます。
(※タタールの民話をバレエ化したレオニード・ヤコプソンの振付作品。シュインビケという小鳥に恋する森の精シュラレーは、彼女が白鳥の姿になって飛び立っていかないように彼女の羽を隠してしまう物語)
もう一つ挙げると、ロシアのヴィノグラードフ版の『リーズの結婚』ですね。
本当にしんどい(笑)。30分間、飛んで跳ねて踊り続けるんですが、だんだん目がチカチカしてきて意識が飛びそうになる。あまりにもキツイので、先輩から1か月以上練習しちゃだめよと言われます。しかも、その5分後にはグランパ・ド・ドゥを踊らなきゃいけない(笑)。
※下記YouTubeから一部ご覧になれます
https://www.youtube.com/watch?v=zasEPO7N2n0
https://www.youtube.com/watch?v=fKEaigp1PMg
―ほかの振付作品ではどうですか?
バランシン振付の『ジュエルズ』でエメラルドを踊ったとき、ダンサーの身体をリスペクトしてくれている、愛してくれている振付だなと感じました。無駄な部分をそぎ落として、動きと音楽をクリアに見せる作品で、ダンサーとして踊れることが嬉しかったですね。
―日本に帰国して生活は変わりましたか?
子どもが生まれたことは大きいですね。周囲から「前より踊りが良くなった」と言われました。そして、精神的に楽に舞台に出られるようになりました。自分自身の土台がちゃんとできたというのでしょうか、舞台で踊っていても安心感につながっています。
そして現在子供たちに教えていますが、教えることで学びになっています。でも、ゴールを探してはダメだよと言っています。毎日頑張っていれば、いつかハッピーになる、いつか結果が出ることを目指すのは、しんどくなるからやめた方がいい(笑)。
いつか楽になる、ということはない。それでもバレリーナとして誇りを持てるか。ダンサーとして携われることに幸せを感じられるか、毎日が自分にとって素晴らしいと思えるかが大切だと思います。
―これまでバレエを辞めようと考えたことはありますか?
常につらい、常にしんどいです(笑)。海外でプロのダンサーになってから13年間踊ってきましたが、特にロシアでは、生まれたときにバレエダンサーとしてできることはすでに決まっているという考え方が根付いているようです。
ロシアのバレエ団で踊っていくには覚悟が必要で、どんなに頑張っても私はここまでなんだと自覚して、自分ができることをやり続けるしかない。だからといって、こんな辛いことがあったから辞めようと思ったことはないですね。
―バレエダンサーとしての美学は何ですか?
自分を舞台で見せる意識ではなく、全幕の中のバレエ芸術の一部であるということ。
私個人ではなく作品を見せたい。ダンサーは音楽や美術の中の一部だと思っています。
―6月に新作バレエミュージカル『カルメン』に主演されます。原作では「一番愛された男に殺される運命なら受け入れよう」というカルメン像が描かれていますが、どのように表現されたいですか?
カルメンは、色々な男の人に言い寄られる恋多き女性というだけの印象だったのですが、
原作を読んでいるうちに、じつはそうではなくて、男性たちに依存しているだけでない、
自由で自立した強い女性だと思いました。そこを表現したいと思います。
―リハーサルの手ごたえはどうですか?
振付がすごくスムーズに進んでびっくり!
古典のクラシックとは少し違っていて、自由な動きで自分でニュアンスを取り入れられる部分もありつつ、色々なフォーメーションがあって振付が音とぴったり合っていて感心しています。
―今後の展望をお聞かせください
子どもも大きくなってきて少し手が離れてきたので、しっかり練習を続けて、これからも舞台で踊っていきたい。
新作バレエミュージカル『カルメン』
2025年6月26日(木) , 27日(金)かめありリリオホール
https://balletartsjapan.com/
http://confetti-web.com/@/balletmusicalcarmen
【寺田翠プロフィール】
3歳の時に田中バレエアートにてバレエを始め、田中俊行に師事。2008年、モスクワ国立舞踊アカデミーに留学。イリーナ・プロコフィエバに師事。2009年、卒業コンサートにて6学年でありながら、パキータのソリストに抜擢され、ボリショイ劇場で踊る。2010年、ボリショイ劇場での卒業コンサートでパートナーの大川航矢とダイアナとアクティオンのパドドゥを踊る。2011年、クラシックバレエから学業まですべてオール5を獲得し、卒業、2011年から2013年にかけてウクライナ国立オデッサ歌劇場のソリストとして活動。くるみ割人形、ドン・キホーテ、眠れる森の美女などの主役を踊る。2014年、タタールスタン国立カザン歌劇場に入団しソリストとして活動。2017年、世界3大バレエコンクールの一つに数えられる、モスクワ国際バレエコンクール シニア女性部門にて銅賞を受賞。同年、文化庁長官表彰を受賞。2018年、ロシア国立ノヴォシビルスク・オペラ・バレエ劇場にファースト・ソリストとして入団。2022年、日本に拠点を移し。フリーバレエダンサーとして活躍。
https://www.instagram.com/midoriterada624/